野良猫

人間は鳥の真似をして、空を飛ぶことに成功した。
しかしよくよく見てみよ。

人間は鳥の真似をして空を飛んだが目的が違う。
鳥は餌を求め群れをなし、漂いながら仲間内との関係性を保ちながら目的に沿って空を飛ぶ。
人間はどうだろう? 理想を目指し、漂うことなく、縦横上下斜めに歩を進めながらも、求めているものが鳥が求愛を呼ぶが如く、名声や見栄建前ではないか?

人間ほど格好つける生き物はない。
ありとあらゆるものの真似をしながら、常に求めているものは求愛であり、承認であり、見栄建前の向上であり、維持なのだ。

鳥の真似をして囀る芸人は鳥になれたであろうか?
鳥の求愛としての囀りを真似ることによって、人気や見栄建前を向上し維持する。
その姿の本質は、良い子であることによって愛されようとする一種の媚びる姿であった。

人間は動物心を抑え、仲間内そして自分自身のために、媚びる生き物である。

俊敏であることによって、チーターであることよりも、鋭利を見せることによってチーターであろうとし、鳴り響き打ち鳴らすことによってヴァイオリンであろうとするよりも、明晰であることによって、正確であることによって、誤釈なきによって、美しく潔癖で気高きによってヴァイオリンであろうとする。その見栄と建前と時にハッタリすらかますその意思と向上意欲。

比して従いたる人間はどうか?
従いたる人間はまるで女である。

ヒトラーに群がる女性は一人一人、意思を持ってなにかを真似、見栄建前の向上に努め、人格を敬愛してヒトラーを眺めていたであろうか?
ヒトラーを崇め群がっていた女性の多くは、人気があるお得を運ぶ存在としてヒトラーを見ていたに違いないのである。

なにかを意思を持ち、目的のために利用する対象として真似る独立者としての人間と、見栄建前の向上なく従いたる下僕奴隷との質の違いは、常にある。

この汚れ迷い払うが如く、新しきを求め選ぼうとする我が人生にとって、従うということの性質は観察する対象として興味はあれど、我が身をそこへ埋没させる気は毛頭無く、ただ真似るそのことによって地位と名声と私生活の健全を獲得し、時に爆発することによって発火することによって、発露することによって得られる発散と解消の世界を求め、狙うことによって企画することによって、求めることによって不安定の世界を生き、人間はどこまでいっても動物の一種なのだと這いながら、囀りながら、歌いながら感ずること、それらを思考の断片として生きるために利用すること、我は理想を求める野良猫である。


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