美しい星の夢を見ようか

いま僕の胸のうちでは、1人の女子高生が、朝陽射し込む神社の境内の石段を登りつつある。といっても彼女は特定の誰かってわけじゃなくて、しいて言えば理想化された、いわば集約的な女子高生なんだと思う。ルックス?そりゃもちろん、桃の瑞瑞しさとメロンの気品を平然と両立させてる程度には、美しいさ。

もしもアオバハゴロモがひっそりと葉陰に隠れていたとしたら、僕は思うだろう。彼(なぜだかオスな気がするんだ)はひとえに、ほかでもなく彼女の美を象徴するためにこそ「そこ」にいるのだと。

彼がいないことにおいているそのことが、彼女にとっては是が非でも必要なのだ。あたかも彼女に仕えるように彼は、この星のうちで最も風に愛されるだろう色彩でもって彼女を高める。

境内を囲む森にはタヌキもいて、夜にはその女の子のつぶらな瞳がキラリと光る。緑なす大地を吹き渡る風はもちろん、女の子の頬をもやさしく撫で包んでは去ってゆく。けれどそれは大いなる、青い星の揺らめきのなかで(まさしく)人知れず流れて行ってしまう。そのとき彼女は煌々とした電灯の下で教科書を睨んでいるだろうか。

僕はそっと目を閉じて、”彼女たち”の哀しいまでに鮮やかなその対比を思う。アオバハゴロモの彼と違って女の子は、彼女に仕えてなどいない。だけど女の子が餌を探し当てたりしたならば、彼女が意中の男子と話ができるようになるだとか、なにかそんな見えない朝貢関係のような力が2人のあいだに働いているんじゃないだろうかと、僕はほとんど妄想めいた感覚に囚われてしまう。

つまるところ僕は心配なんだ。女の子がはたして、本当にその胸の底から森の生活をエンジョイしてるのかってことがさ。黒い森って言葉もある。鬱蒼と茂る森のなかではかえって緑はくすんじゃうのかもしれない。晴れやかな空へと開かれてこそ緑は輝く、のだとしたら。

あの色彩のうちに僕は、どこまでも尊い自立心とでもいうべきものを見ていたのだと、いま思う。それはいわば、いまだ世界へと開かれてはいない。しかし彼女はいままさに、自立した娘への階段を昇りつつある。自立してはいないということにおいて、このいまそれは秘められている。

けれど彼は、彼女のうちに住まっている(と、言ってしまおう)彼は、そう遠くない明日に、くすんだアスファルトの上さえをも吹き渡る、自由という名のそよ風の、その愛を得ることを知っている。どこか虚ろで迷っているようでもある彼女のうちに、しかししかと答えはある。胸の奥の色彩が彼女を、澄んだ予感で満たした折りの、彼女の亜麻色の瞳の揺らぎを、一眼レフに収めたりなんかできたらな。

女の子もいつしか大人になって、気性の激しいメスになる。凛とした女騎士のような彼女が再び石段を昇るとき、やはり逞しくなった彼女もまた、森の和やかな息吹に愛されていてほしいから、再びそっと目を閉じて、美しい星の夢を見ようか。

森には神様がいるなんていう、そんな考え方が大好きだ。風よ吹け吹け、風よ吹け。そうして淡い粒子を煌めかせてみせてよ。2人の瞳を、シャワーみたいに包み込みながらさ。


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