二十歳の頃に見ていた
夢のこと
ヨーロッパの名もなき田舎の教会で
日の光だけを友に掃除をする
そんな仕事をしたいなと
遠く焦がれるように思っていた
ぼんやりと
本当に薄ぼんやりと思っていて
あるいはそんな”思い方”が
それをいかにも崇高な風に見せたのだろうか
霧のような光だと思っていた
たとえば
何気なく手すりを雑巾で拭いてみるだけで
自分と世界が厳かに触れ合えるような気がした
お寺でもなく神社でもない
神を信じてるわけじゃないけれど
この胸は生きることの不思議に焦がれてる
ステンドグラスの青だけが
そんなハートを照らし出してくれる気がした
どこまでも和やかな淡さで
時間ってやつに幾重にも区切られた作業工程を
判で押したように生真面目な顔でこなしてく
昼休憩
おばちゃんたちのうわさ話がねっとりと飛び交う
あの日々に静かなる恍惚を夢見ていたことには
いったいどんな意味があるというのだろう?
どうしてだか、最近職場を辞めていった
50代に半ばの女性のことが忘れられない
彼女はそれは美しかった
それは認める
でも美しい人なら他にもいる
うんと若く美しい女の子だっている
けれど彼女にはある稀少な特質があった
彼女には気品がみなぎっていたのだ
若かりし日の
儚き憧れ
中年へと向かう途上の
仄かな恋心
遠き歳月を越えて結びつけるのは
ご都合主義的かもしれないとも思うけれど
それでも「ここではないどこか」を
再び眼差してしまうのよりかはずっといい
それはまるで猥雑な食卓のさなかに
ふっと漂ってくる芳香のよう
みなと馬鹿笑いし楽しんでいる最中
ふと席を立って香りを辿れば
同じく席を立ちつつあった美熟女の前に立ち止まる
その腰のしなりに目眩がする
ワイワイとした江戸の昼から
しんなりとした平安の月夜へのタイムスリップ
そんな夢を見させてくれる女(ひと)に
いつか出逢いたいものだなあ
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