アオバハゴロモが飛んでいる。ゆらゆらとでも、ひらひらとでもなくふわりと、掌への軟着をすでに夢見てるよな甘やかさで。
彼女は髪も瞳も亜麻色をしていた。もしも誰か他に人がいたとしたら、彼(彼女)の視線は彼女に惹きつけられるあまりそれを外すと、あたかも大気はアメリカのカントリーのそれのように思えてくるかもしれない。しかしここは紛れもない神社の境内にほかならないのだ。
“君は何を想っているの?”ーそう僕は彼女に問いかけたくって仕方がない。小さな羽虫は彼女の、ではなくて、緑の掌に止まる道を選んだ。なんだか緑が大きく迫った。彼(なんとなくオスな気がする)も彼女も小さく在って、やはりなにか妙に大きな雨粒に打たれ出したのだけど彼の、うんと小さなあの身体は大丈夫だろうかすると、〈世界は夢を見ている〉というフレーズが僕の眉間からちょっと離れた中空あたりにいつ頃からかは、定かでないような形で揺蕩っている(きている)ことに気づいた。彼は世界の精神とでもいうべきものを象徴しているようだ、とするとこう言うのは忍びないけど無味乾燥な、物質としての世界に蝋のように溶け入ってしまうことなどないはずキリッと、閉ざされた羽の硬質な、薄青緑に彼女も僕も映ってきていたのだろうと僕は、彼≒世界になって夢を見る。
彼女は白人なのに胸が小さいそのことがピッと、あたかも”彼”に微細な電流を流したかのようだった。と、思うや対比的に職場の、とあるお姉さんが胸をうーんと反らした折りの禍々しい気配が一気に、境内をあまねく覆ってしまった。秘め事というにはあまりに、いやたしかに「秘められた場所」で行われてはいるはずだけれど、それはひとえに〈行われている〉ということそれ自体で「おおっぴら」だと、あまりにおおっぴらだと呟かねばならなかった認識は透き通るようなこの、いつしか出現していた”彼”の目前の少女のようでもある女(ひと)の、あるかなきかの胸の前でこそ裁かれなければならない気がした凛、とその小さい背丈で大きくスッと、伸ばされた背に冠せられし密やかであるゆえ艶めかしい、ではなくて、密やかであるゆえに甘やかであるよな憐憫くるんだ理知的な目で、「彼として」として見上げられながら。
“ねぇ、お姉さん…キレーな食品工場でそんな、ミダラな格好していいのかい?”ー本殿は奥深くにあり木々に囲まれている。幾千もの葉の緑が波を象っている。たとえば〈アメリカの海〉といったフレーズが彼を打つだろうか。それにしても不思議だ。彼女は本当に日本人なのだろうか。いつしか彼女は黄色い肌と漆黒の目をした、そして胸の大きな白人女になっていた。のっぴきならない異質性において彼女は僕に、ひいては彼にとって白人というほかはなく、それが彼の胸のその深奥で、魂の焔とでもいうべきエネルギーに熱せられるのを待っているのを僕は見ている。
ウミウシのような蠢きへの、一歩手前にあるようなしとやかさだと僕は思う。とするとつまるところそのしとやかさは擬態であるということになり、その認識は彼が目前の彼女の〈柳のようなアメリカ娘〉感に感じただろうものよりも、そして僕がさきに感じた異質性よりもさらに強い強度で、消え入りそうなあるかなきかのこの”胸”の、その淡雪のごとき静謐さを掻き乱されたような気がした。
幾万ものささやかで温かい夢が、丸の白のお世辞にも、綺麗とはいえない愛らしい輪郭として浮かび上がってくるかのように、降りしきりつつ放たれ来たる情景を見ている。もちろんそれは彼にだって、きっとたしかに届いてるはず。いや彼にこそ。僕と彼は90℃違う角度であまたの牡丹雪を見ている。絶え間ない夢幻の魅せる煌めきも、彼女という夢も、決して同一の淡さを映しはしない。
時だけが、2人に通い合う流れを知っていた。僕はもう彼を知らない。僕はもう、彼女を知らない。
豊かな、あまりにも豊かなこの世界から、ただ拒まれることにおいて僕は僕たり得ているようだった。このあるかなきかの目に映るものといえば、ぜひとも必要で便利な(!)ありふれた図像だけだった。彼女は「少女」ではないし、「女」でもない。「少女のような女」などでもない。彼女は彼女でしか、あり得ない。
このまま雪に、溶けてしまうのだろうかと僕は思う。小動物のようでも観音のようでもあった彼女の、その右頬はもう、この僕へと振り向くことは未来永劫にないことを悟りながら、左目は案外ユニークな形をしていたかもしれないなんて、今さら思う自分にしかし”、悪くない”と、垂直の葉っぱに移り空を見やると、白と緑にただ包まれた。
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