あの夜に紡がれた織物

都市の片隅でささやかに
でも力強く生きている女(ひと)
あなたへと続く橋の袂には桜があった

旅行者らしき中国人のカップルが写真を撮っていた
それを見るや歴史に漠と想いは漂い
大陸に程近いこの街の風が
唐の都から時空を越えて吹き渡ってくるような気がした

楊貴妃だけじゃない
いったいどれだけの美女があの都の栄光を
芳しく彩っていたのかと思うとクラクラする
歴史という大いなる流れの狭間であなたも
また

暗い部屋が好きなのと
あなたは言った
記憶のなかであなたの頬は火に照らされたように浮かんでいる

あなたは当たり前のように衣服を
しかし高貴な緩やかさでもってはだけた
その”演技”は僕をもまたたく間に俳優にした
恥ずかしくって書き記せない言葉の数々が泉のように湧き出した
あなたの背からゆっくりとその胸に腕を回す
自分の背丈をあれだけ誇らしく感じたことは以後もない

そんなあなたはでも僕なんかよりよほど強くて
いつもひたむきに前を見据えるような話し方をした
か弱い足指と凛々しい切れ長の瞳のそのギャップに
僕はそれこそノックアウトされたんだ

あの夜は雨の夜だった
今夜はごめん、気分が悪いのとあなたは言った
僕たちは衣服を着たまま2人ベッドに仰向けになった
雨音ー
それとなく口を開いたあなたの言葉
それは茫漠たる時空の湖に浮かび上がった気泡のようだった
ポツリ、ポツリと
いつにもましてあなたはゆっくりと言葉を紡いで

あの夜に紡がれた細やかな感情の織物を
あなたはいまもその胸にそっと抱いているだろうか
あなたが語ってくれたのは
しっとりとした美しい後悔とでもいうべき抒情だった

あの橋の袂でもうすぐまた桜が咲く

でもあなたへの道を辿ることは
僕にはもう叶わないんだ


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