無難、そして人生を乗せた天秤

「目標はいくら高くてもいい」
いつだろう、思い出せない。でも、誰かがそう言っていたことを今になって思い出す。

俺はいつも無難に生きてきた。
学校祭での演劇の役決め、テスト勉強、そして志望校。

妄想の中の自分は、いつも主役を演じきる。
妄想の中の自分は、いつも学年トップの成績を取る。
妄想の中の自分は、いつも難関大学に合格する。

でも、妄想を続けているうちに、現実には『無難』な選択肢しか残らなくなる。

その無難に不満があるわけではない。
まだ「あと」が残っているから。
努力するのは、「あと」からでも間に合う。
こうしてまた未来の自分に託す。やり遂げる確証もないのに。

将来の自分は、金持ちで、車を何台も持っていて、週末は毎回遊びに行く
そんな妄想をして、目標を持つだけで満足してしまう自分に気づく。

「高校生になったらバイトを始めよう」
「バイト代でジムにも通おう」
「将来に向けて投資の勉強もしておこう」

ふと気づく。
自分が“目標”だと思っていたそれも、結局は『妄想』にすぎなかったのだ、と。

努力を始めるか、始めないか。
“目標”と『妄想』の違いは、ここにある。

このまま努力せず、また「無難」に逃げるのか。

自分の中で最も新しい自分は、いつだって「今の自分」だ。
何十年先の自分を思い描いても、この事実は変わらない。
どれだけ完璧な理想像を思い描いたとしても、そいつは自分の代わりに努力なんてしてくれない。
結局、変えるのは「今の自分」しかいないのだ。

こんな詩を吐き捨て、今日も一歩進んだ気になってしまうのか。
そして今日もまた、俺は「無難」に歩みを進めてしまう

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