葉擦れが聞こえてきたとき、あっ、けっこう強く風吹いてたんだと、彼女は気づき思った。風は大地を吹き渡るー吹き”渡る”とは何だろう?まるで人だと彼女は思う。といって彼女がその折り感じたのは、たとえば見えない人型の精霊が移動しているのだというようなことではなかった。漠とした、しかしたしかな意思のようなものの迫り来たりをこそ彼女は感じた。〈彼〉はどこか遠くの、どこでもないような場所にいながらにして彼女のその、澄んだ湖面のような瞳からいくらか離れた、ありふれた一本の木の上でことさらに揺れているかのようだった。
それは彼女にとって一番近くにある木だった。共有された間合いに静けさが宿った。それはあたかも真空のように彼女には思えた。彼女へとももちろん風は吹いていた。しかしそれを彼女はないことにしていた。〈彼〉の意思は木(の枝葉)というポイントで行き止まりになり、決して彼女の控えめな胸には届かないのだ。
その”届かなさ”を把握している(できている)ことにおいて自分は戦士たり得ているのだと彼女は直覚した凛、と。あまりにありふれた日常ってやつをその胸に透過させつつ抱き決然と。そしてこの瞳にいま映る世界が、〈彼〉のその息吹が、いまだかつてなくこれからもないだろうことを厳しく見つめつつもいつかの、遠い日にたとえば、無限に近似的な夢幻のように再び訪れ得るのだという予感が、握りしめていた掌を緩めるや火のように、生まれたての火の子のように、掌をほんのりと暖めるのだった。
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